
昨年10月の第1巻からおよそ7カ月。第5巻の発刊をもって「妙高の緑風」は完結した
野草酵素の生みの親である近藤堯氏の波乱の人生を描き、日本全国で大反響を巻きおこしている漫画「妙高の緑風」。
戦前から現在まで、ゆるぎない信念をもって酵素の研究に身をささげた氏の80年に迫ったこの作品は多くの感動と共感をよび、このほどついに完結をむかえた。
それを記念し、物語の主人公である近藤堯会長本人に、話を聞いた。
近藤会長1〜2歳のころ
高田農学校時代。手前中央が堯氏
橋の上でも屋根の上でも、「気持ちよさそうだなと思ったらどこでも寝てた」
好奇心おう盛な堯少年は、この瞬間を見るために2週間畑に泊まりこんだ
−−近藤会長は先日、ちょうど80歳のお誕生日をむかえられたとか。そんな記念すべき年に、ついに第5巻をもって「妙高の緑風」が完結しました。
近藤会長 自分でも反響の大きさに驚いています。取材の依頼を受けたときは、私なんかの話を漫画にして何が面白いのかと思いましたが。
−−いや、そんなことはないですよ。酵素研究に捧げた会長の熱意には、全国のみなさんが共感されたはずです。とくに同じ時代を生きた同世代の方から多くのおハガキをいただきました。
近藤会長 豊かになったいまと違って、戦中、戦後と大変な時代でしたからね。
−−まずは第1巻、家族だけでなく村の人びとや和尚など、皆から愛される堯少年が、「下の坊」としてイキイキと描かれています。橋の上で眠ったり、他人の家の晩ごはんを食べ歩いたり、ほんとうにあのような少年だったのですか?
近藤会長 うん、あのまんま(笑)。
−−なかでもキュウリの成長を見たくて何日も泊まりこむシーンが印象的ですが、あのキュウリが「ズムッ!」とふくらむところは実際に見れるのでしょうか?
近藤会長 太陽の出る15分くらい前かな。じっと集中して見ていると、ふくらむんだ。植物は知ってるんだろうね、なにが栄養をくれるのかを。光合成しようとする自然の本能なのかもしれないね。
−−へー、そうなんですか! そして高田農学校ではじめて顕微鏡をのぞきこむシーンがあります。最初に微生物を見たときは衝撃的でしたか?
近藤会長 あんなに面白いものはないよ。だって、小さいのが右に左に動くんだから。飽きずに何時間でも見ていられたね。
−−終戦の様子も描かれていますが、当時の気持ちをくわしく聞かせてください。
近藤会長 漫画では予科練に落ちたままになってるけど、じつはそのあともう一度受験して合格したんです。そして志願兵として飛行機に乗る準備をしてた。でも飛ばなかった。敗戦間近の日本には、もう燃料が残っていなかったんだね。
この決断に全国から賞賛の声が!!
毎日、次から次へと届く感想のおハガキ。なかには小学生からのお手紙も
−−そして戦後をむかえるわけですが、昭和22年に農地改革が行われます。戦争でお父さんを亡くされ、まだ学生でありながら近藤家の当主になっていた堯少年の立派な決断に、読者から賞賛の声が寄せられました。しかし会長、なぜ政府の通達に従って小作の方たちに安く田んぼを売ろうと思われたのですか?
近藤会長 従ったわけじゃない。あたり前のことだと思っただけ。だって不公平でしょ? 何もしないで他人のつくったお米をもらうのは。子どものときから、おかしいなあってずっと思ってた。だからちっとも迷わなかったね。一転して生活は苦しくなったけど、これが自然で本来の姿だな、と。
−−はああ! 感激しました! そして堯少年に大きく影響を与えたのが、祖父の一作さん。「真実はたった一つだすけ、よく見れば必ず答えは見っかる」などの名言を残し、読者のあいだでファンも多い〝一作じいさん〟ですが、どんな方でしたか?
近藤会長 ひと言で言えば、厳格。でもわたしに対しては、おおらかと言うか、なんでも好きなようにやらせてくれるじいさんだった。トットコ(鶏)でもなんでも買ってくれたし、「馬に乗りたい」と言ったら馬も用意してくれた。研究で小屋に閉じこもってても、なんにも言わずに放っておいてくれたしね。
第3巻の名シーン。祖父・一作じいさんは堯の成長に大きな影響をあたえた
−−なるほど。研究といえば、第3巻、大宮の国立研究所へ入所するやいなや、オガ屑から画期的な肥料飼料を開発されます。
近藤会長 研究所はね、好き放題に研究できることが何よりうれしかった。学校と違ってお給料までもらえるしね(笑)。
−−ところがせっかく開発された肥料飼料を棄てろと、上から指示がある……。これはそうとう悔しかったでしょうね。
近藤会長 うん、自分では正しいことをやってきたつもりだったから、スジが通らないというか、納得いく結果ではなかったね。
−−あまりのドラマティックな展開に、読者の方からは「多少の脚色もあるでしょうが……」とのおハガキもいただきました。
近藤会長 いや、ほとんど脚色はなし。実際にはもっと暗くてつらい話もたくさんあった。でも私の話をそのまま漫画にすると暗いストーリーになってしまうから、原作の谷川先生が明るく手直ししてくれたんだろうね。
このあと堯は、みかねた親戚に連れられ、精神病院で一夜を過ごす
杉先生や相澤さんなど、漫画には『野草酵素』の開発に深くかかわるたくさんの人物が登場する
−−研究に熱中するあまり包丁をもって血まみれになり、精神病院で一夜を過ごすシーンには思わず笑ってしまいました。あれも実話ですか?
近藤会長 あれは実際にはもっとシリアス。豚を解体して腸のなかを調べていたんだけど、ご存知のように臓器は足がはやい。解体するとすぐに腐敗がはじまるから、私も必死。血まみれのまま、にぎり飯片手に顕微鏡をのぞいているんだから、はたから見ればゾっとする光景だったろうね。
−−第4巻では大学教授の杉先生との偶然の出会いから、野草を原料にくわえるヒントをいただきます。
近藤会長 杉先生からのアイデアはもちろん、『野草酵素』は多くのひとの支えがあってこそいまがあるんです。今回漫画にしていただいて、あらためて思い返しました。
−−いままで会長はひとりで研究をつづけられてきた印象がありましたが、実際にはたくさんのまわりの助けがあったことが、漫画を読んでわかりました。
近藤会長 たとえばはじめの頃からずっと研究に協力してくれた相澤さん。じつは漫画では描かれなかった話があってね。昭和59年に会社を再建するとき、旧友たちがいろいろ力を貸してくれたんだけど、どうしてもお金がたりない。一度会社を倒産させたわたしにお金を貸してくれるところなんて、どこにもない。そんなときに何も言わずに保証人になってくれたのが相澤さん。彼がいなかったら、『野草酵素』はこんなにも多くのひとに届けられなかった。
最愛の母・キトが少しずつ元気を取りもどす。しかしこのあと、堯のからだにも異変が……
いまだに研究への意欲はおとろえない。その想いは若いひとたちへと受け継がれていく
−−感動的なお話ですね。そしてお母さまの病気や会長ご自身の入院というたいへんな困難を乗り越え、ついに第5巻で『野草酵素』が完成します。
近藤会長 はじめは売れなかったね。ほんとうに売れない(笑)。でも酵素は現代人のからだに足りないもの、ほんとうに必要なものだっていう自信はあったから、いつか理解されると信じてた。
−−そんな思いがつまった『野草酵素』だからこそ、これほど多くの人に愛されているんですね。最後に聞かせてください。この漫画を読んで、「理科が好きになって成績が伸びた」という小学生がいました。「孫に読ませたい」、「図書館に置いてほしい」との声も多々あります。どう思われますか?
近藤会長 うん、うれしいね。若いひとたちの将来の肥やしになれば、こんなにうれしいことはない。勉強は好きにさえなれば、放っておいても自然とやりたくなるもの。まずは「好き」を見つければいい。そして勉強は学校だけじゃない、ってことも知ってほしいね。日常のどんなところにも、答えやヒントはたくさん転がっているんだ。
−−「答えは必ず自然界が用意してくれる」、ですね。
近藤会長 そう、そのとおり。
−−本日はありがとうございました。
沖縄のレモン・パイナップル、北海道のエゾウコギ、奄美大島のパパイヤ……近藤会長の原料へのこだわりは、全国の生産者と直接ふれ合うことからはじまる
野草酵素をもっと安く販売してほしい−−。こんな声をいただくことがよくあります。これまでと味や見た目も遜色ない野草酵素。もちろん、つくることは可能です。
海外から安い原料を仕入れる。熟成期間はこれまでの半分以下にして、オートメーション化。そして原料一覧には、添加物や保存料の名前がならぶ……。
いうまでもなく、これは野草酵素に似たニセモノ。「それでも安い方がいい」という人は、おりますでしょうか?
野草酵素の原料は66種類。清らかで地力のつよい妙高高原で育った野草や野菜を中心に、日本全国に産地がちらばっています。
これまで何度か『野草だより』で紹介してきたように、原料へのこだわりは徹底的です。各地の生産者を訪ね、どこで・だれが・どのように育てているか、農薬の影響はどうか、生育や収穫はどうか……。これら諸々をわたし自身の目で確かめ、納得のいった素材だけが野草酵素の原料として選ばれます。さらに、より安心・安全な原料を発掘するための全国行脚は欠かせません。
コストを度外視している、そう思う方もいらっしゃるでしょう。ですが、そこまでしなければならない、きっかけがあったのです。
戦後の食糧難の時代、わたしは愕然としました。
アメリカ主導による農業政策の転換です。農薬をつかい生産効率を高め、作物の安定供給をはかる。今まさに飢えで苦しむ国民を救うための政策でした。
農作物増産のために農薬をたくさん使用すると、土壌の有用菌たちが駆逐され、彼らが生みだす酵素まで減ってしまう。これでは食料難は乗りきれても、将来的に人々の健康に役立つ食生活が維持できるはずがない。そんなときのために、日々安心して飲むことができるものが必要だと、酵素飲料の開発に身を捧げたのです。
現在、農薬の難をなんとかのがれた地域のひとつが、妙高高原です。ここで育つ野草や野菜たちを積極的にとりいれる。また、全国をまわって調達するのもそう。自らリヤカーを引いて、元気な野草や野菜をあつめ野草酵素をつくっていた、あの頃の延長線でしかありません。
毎日、口にすることで健康に役立つものだからこそ、素材選びに妥協はゆるされない。かつてわたしの母を救い、わたし自身も助けられた野草酵素は、原料の生育段階から生産がはじまっているのです。
いつまでも若々しくいたい。女性なら誰もが願うことですよね。そこで重要なのが、お肌。年齢よりも老けてみえる人と若くみられる人の大きな違いは、お肌のうつくしさです。少々のシワがあっても、お肌がきれいだと5歳も10歳も若くみられるし、お化粧も楽しくなって、自分に自信がもてるようになるのでいいことずくめです。
そんなお肌のためにできること。高い化粧品をペタペタぬりつけたり、美容ドリンクをゴクゴク飲んだりするのももちろん結構ですが、健康的なお肌のためには「ドッサリ出すことが大事」というのは、もうみなさんご存知だと思います。
ではなぜ、ドッサリ出しているとお肌がきれいになるのでしょうか? そのメカニズムをみてみましょう。
通常、私たちが食べたモノは胃で消化され、栄養分を腸で吸収してから、不要なものを外に出します。この一連の流れがスムーズにいかずに溜まったままになると、おなかの中は大混雑。温度37℃の1・5メートルのトンネルの中で、消化されずに残った食べ物はみるみるうちに腐敗し、毒素を発生させます。
この毒素がからだじゅうを駆けめぐり、肌あれ、吹き出もの、ガサガサ乾燥などを引きおこすのです。
そうなるともう、いくら高い化粧品をぬりつけても笑顔でごまかそうとしてもダメ。どうにもならない。根本的な解決が必要になってきます。からだの中の問題は、からだの中で解決するしかない。ただ、原因がハッキリしているので簡単ですね。そうです! 溜めこんだものをドッサリ出して、おなかのおそうじをすればいいのです。
ドッサリ出すためには、何といっても食物繊維は欠かせません。溜まったものをからめとって、スッキリ外に出してくれます。
その食物繊維がさつまいもの約28倍も含まれているクマザサ青汁には、お肌にうれしいビタミンやミネラルもドッサリはいっているので、毎日つづける習慣をつければ、自然とお肌もキラキラしてくることでしょう。ドッサリ晴れ晴れ生活をしていると、きれいなお肌になるのはこのためなのです。
さあ、今日もしっかりとクマザサ青汁を飲んで、キラキラお肌のニコニコ笑顔でいきましょう!
戸来しず子さん(81歳)
北海道長万部町在住
日本全国にひろがる、野草酵素農法。今回はこの野草だよりの記事を読んで、自分でもやってみることにしたという、北海道の戸来さんをご紹介。飲み終わった野草酵素の空きビンのおかげで家の中が明るくなったという戸来さん。お花にも負けないほど、その笑顔は輝いていました。
これで戸来さんも立派な友の会の仲間ですね
野草だよりを読んでたら、このページが目に留まってね、自分でもやってみようと思ったの。
書いてあるとおりに空きビンに水を入れてシャカシャカしたんだけど、こんなに薄めて大丈夫かしら? って最初はちょっと不安だったわ。でもね、その薄めた液をこのコたち(植木鉢)にシュッと吹きつけてあげたら、ほら、みてよ、このとおり!
毎年ひとつかふたつしか花がつかなかったのに、今年はこんなにたくさん咲いてビックリ! もうツボミの数からして全然違ったもの!
それに色もあざやかでしょ? もともと持っていた生命力が引き出されたようで、特に葉っぱが青々して元気になってね。ああ、これはほんとうにすごいなあって感心したのよ。
たくさん花が咲いたおかげで家の中も明るくなったし、いままで「もったいないなあ」と思いながら空きビンをゴミに出していたのに、こんなすばらしい利用法を知ることができてよかった。
みなさん! せっかく野草酵素を飲んでいるのに、そのまま空きビンを捨てるなんて、ほんとうに「もったいない」ですよ。シャカシャカ薄めてシュッと吹きつけて、日本中に花をいっぱい咲かせましょう!